社会の変化を映す主題――家族、孤独、記憶、そして周縁
近年の日本映画が繰り返し立ち返るのは、壊れかけた、あるいは再編成される家族の姿だ。是枝裕和の『怪物』(2023年)では、家族や学校という制度が子どもたちの真実をいかに歪めるかが問われる。血縁よりも選択による絆を描くこの傾向は、日本社会における家族の定義そのものが揺らいでいることと無関係ではない。
孤立の問題も、現代日本映画の重要な通奏低音だ。濱口竜介は『ドライブ・マイ・カー』(2021年)で、喪失と言語の断絶を通じて都市に生きる人間の孤独を描いた。三宅唱の『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)もまた、聴覚障害を持つボクサーの日常を通じ、社会の周縁に置かれた個人の内面を静かに照射する。
非正規雇用や高齢化といった構造的問題も、説教的にではなく、人物の細部に滲む形で描かれることが多い。岸善幸の『正欲』(2023年)は、規範的な欲望の外側に生きる人々を描きながら、社会的包摂の限界を浮かび上がらせる。東日本大震災後の記憶と喪失も、依然として複数の作品に影を落としており、個人の傷と集合的な記憶が交差する地点に日本映画の誠実さが宿っている。
作家性とジャンルの更新――アニメ、インディペンデント、国際評価
近年の日本映画を支えているのは、個性の強い監督たちの存在だ。アニメーション分野では、宮崎駿が2023年に『君たちはどう生きるか』でアカデミー賞長編アニメーション賞を受賞し、改めてその作家性の強度を証明した。新海誠は『すずめの戸締まり』(2022年)で興行的成功と社会的テーマを両立させ、若い観客層を劇場へ引き戻した。アニメは単なる娯楽ジャンルではなく、日本のナショナル・シネマを構成する中心的な表現回路として機能している。
実写の領域では、濱口竜介が『ドライブ・マイ・カー』(2021年)でカンヌ脚本賞とアカデミー賞国際長編映画賞を獲得し、国際的な評価軸における日本映画の位置を大きく引き上げた。深田晃司もベルリンやカンヌで継続的に注目を集め、インディペンデント系の作家映画が海外の映画祭で独自の評価を得ていることを示している。
ホラーや青春映画のジャンルでも刷新の動きは顕著だ。三宅唱の『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)のように、静謐なリアリズムで人物の内面を描く作品が批評的支持を集めている。実写とアニメを対立軸として捉えるよりも、それぞれが異なる観客層と評価軸を持ちながら、日本映画全体の多様性を形成していると見るべきだろう。
日本映画の現在地は多層的な変化の中にある
社会問題への鋭い感度、個性的な作家性、そして配信プラットフォームや国際市場の拡大という産業的変容——近年の日本映画はこれら三つの力が交差する地点で動いている。濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』が2022年のアカデミー賞を受賞したことで海外の注目が集まったのは確かだが、その一作だけで日本映画全体を語るのは早計だ。商業大作、スタジオジブリを筆頭とするアニメーション、低予算の独立系作品、映画祭で評価される実験的な映画——それぞれが異なる論理と観客を持ちながら共存している。Netflixや国内配信サービスの普及は製作資金の流れを変え、若い監督が劇場公開を経ずに作品を届ける道を開いた。こうした多様な回路を横断して見なければ、現在の日本映画が経験している再編の深さは見えてこない。均質化ではなく多様性こそが、この時代の日本映画を特徴づけている。